京都「秦家住宅」

8月に1泊2日大阪→京都という、いそがしい旅をしてきた。

大阪では「堂島リーバービエンナーレ」 「graf」 「COMME des GARCONS Six 加藤泉展」

京都では「秦家住宅」 「承天閣美術館」 「大山崎山荘美術館」 「東本願寺」と、

けっこう詰め込み気味に廻ったが、中でも「秦家住宅」がいちばん印象的。

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建物の詳細はこちら → 「秦家住宅」を…

今回の旅の前にふと思い立ち、本棚で眠っていたこの本 ↓ を久しぶりに読んだのだが…

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「京の民家」
(昭和37年初版のこの本。実家から拝借してずっと返してません。ごめんさなさい。)

この本に書いてあることを、実際に自分の目で町家を見て、確認することができた。

例えば町家の屋根の形状について。

沖縄や九州、風が強く吹く地域では、風にめくられないよう屋根の瓦が漆喰でかためてある。

また、強い風雨で瓦の隙間から雨水が逆流しないよう、屋根の勾配がきつい。

一方、雨に風をともなわない京都では、屋根を漆喰でかためる必要が無いし、勾配も緩やかでよい。

ただし湿度は高く、腐らせないためにはなるべく家を濡らしたくないので軒は充分に出ている。

屋根の上を流れる雨水の量は軒先に近くなるほど多くなるので、雨漏りの危険度も高まり、

それを解決するため軒先に近付くほど急勾配にしている。

つまり屋根に「むくり」がついている。

1枚目の写真を見ると、たしかに「むくり」がわかる。

京都は標高があまり高くない、稜線の優しい山に3方をぐるりと囲まれており、

その景観と、「むくり」のある屋根が並ぶ様子が美しくマッチする。

…ということが、この本で語られている。

「むくり」が生まれたきっかけは、京都の気候に対する合理性からなのか、

京都人の秀でた美意識からなのか…

どちらが先なのかと考えるとおもしろい。

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さて次は、部屋内から中庭を見た写真。

部屋と縁側の間、縁側と中庭の間に2重に簾がかかっている。

雰囲気的には御簾(みす)と言った方がいいか…

「平安時代など、位の高い人は簾越しにしか見ることができなかった。

だから敬いの意を込めて御簾とよんだ。」

そんな話を青山・骨董通り近くの骨董店イシイ・コレクションのご主人に伺ったことがある。

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直接見る庭。1枚の御簾を通して見る庭。2枚の御簾を通して見る庭。

それぞれが、違って美しい。

簾の役割は、高温多湿の京都において太陽の光を遮りながら風を通し、

かつ隣家などの視線からプライバシーを守ること。

しかしここに間違いなく、美的機能が生まれている。

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町家の部屋内は決して明るくない。

写真を見ても分かるように、明るい庭の景色に対して暗い室内の壁は、額縁のように感じられる。

ただ庭を見るよりも、周りが相反する存在感の額縁で囲まれることにより、

庭の美しさはより凝縮され、より引き立つ。

ただ、そのあまりのコントラストを京都人の美意識は良しとしない。

そこでそこに1枚フィルターをかませることにより、

庭の景色の鮮烈さ(緑の鮮やかさや光の強さ)を適度に和らげ、あくまでさりげなさを大切にする。

“垣間見えること”の美しさを楽しんでいるように感じる。

また簾は上から垂らせれるものであり、当然視界はその下部で抜ける。

庭を眺める視線は自然と、伏目がちになる。

ここには“ひかえめ”で“つつましい”人としての美意識が表れているように思う。

かつて御簾が高貴な人に対して畏敬を示すツールだったとすれば、

ここにある簾は庭(=小さいながらも自然)に対して、

自身をつつしみ、敬意を表すものなのではないだろうか…

先に書いた、屋根の「むくり」の話を思い出しても、

その形状は、外に対して頭を垂れているようにも見える。

これもやはり、生き方としての美意識が表れているものではないか。

実際、宗教建築などの屋根はその機能を無視して、上ぞり…「てり」の形状となっている。

これは建物の規模を誇示し、権威の象徴としたいがため。

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ところで個々の人間の美意識というものは、その人の経験や生い立ちに影響される。

時にそれは直接的ではなく、間接的な経験だったり…、

また、その時には全く意識していなかったものが、実は強く、濃くすり込まれていたり。

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ワタシの父は京都で生まれ育ったが、ワタシ自身は一度も京都で暮らしたことは無い。

何十年も前は京都の父の実家(うっすらと記憶にあるが、まさに典型的な町家であった)に、

親戚一同が集まることがあり、その折何度かワタシも京都を訪れたが、

美意識どころか、ものごころもついてない頃の話。

少なからず美やデザインというものに感心を持つようになってから京都を訪れたのは数えるほど。

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ところが今、自身が建築の仕事をしていて、日頃美しいと感じるデザインには、

細かく連続する格子、大胆な全体構成の中の繊細なディテール、

白壁と紅殻塗りの木部のコントラスト、

真壁により表に露出する柱の縦ラインと、庇屋根による横ラインの組み合わせなど、

京の建物に多く見られるモチーフとのシンクロを感じざるを得ない。

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ものごころつかない子供の頃に何度か訪れた京都の町…、

その美しさは、幼い子供のまだ眠っている美意識に何らかの影響を与えるに充分な力を

持っていたのかもしれない。

もしかすると父が京都の町を歩きながら、我が子にその美しさを語って聞かせたのかもしれない。

はたまた京都の町で生まれ育ち、その美意識を存分にすり込まれた父が、

京都を離れて暮らしながらも日常で選ぶ様々なモノにその美意識が表れ、

そのモノを媒介として子供にも似た美意識が伝承されたのかもしれない。

ただ、生物学的にDNAにインプットされた情報を引き継いでいるのかもしれない。

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ここで話を振り返れば、歴史の中で培われ、ある時代に完成した京都人の美意識が、

街並みや建物の美しさをつくりだした…無意識の内の美意識の伝承と言う意味で、

京都に生まれ育った父と、京都で暮らしたことの無い子の関係につながってくる。

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by MITOO_OKAMOTO1 | 2011-09-08 18:39 | HOUSES IN KYOTO
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