東京藝術大学大学美術館で開催中の
「自画像の証言」展を見てきました 藝大では卒業制作で自画像を描く伝統があり 現在約5000点の自画像が収蔵されており その内の約170点が展示されていました 縁あってお付き合いさせていただいている 日本画の先生の自画像が展示されていると言うお知らせを メールでいただき これはおもしろそうな企画だと足を運びました 基本的に絵は好きですが 好きだと言える絵は少なく 好きでない絵は逆に見るのが苦痛だったりします 例えば“音楽”や“映画”だって 好きだからこそ 好きな作品と出会った時は人一倍嬉しいけれども 嫌いな作品にはやはり人一倍嫌悪感を持ってしまったりするじゃないですか 絵の中では静物画や風景画よりも 人物画の方が好きです 「何かを感じやすい」気がするので 最初の2枚 1898年の北蓮蔵と白瀧幾之助の作品にはじまり 村上隆さんや松井冬子さん等 現在第一線で活躍されている方 そして昨年の作品まで 色々な作家の自画像だけをこれだけまとめて見るのは勿論はじめて 時系列で見てみると 昭和20年代くらいまでは 基本的には“顔”を写実的に描く作品ばかりでしたが 昭和40~50年くらいから その表現方法は自由奔放に変化を遂げて行きます まったく“顔”が見えない図形(模様?)であったり 写真のコラージュであったり 8ミリカメラのテープ… ただ真っ黒… 携帯電話… 自画像は 本来の「自分の内面・本質を表現する」と言う目的だけを守り より的確に表現するために その手法については“絵を描く”と言うカタチにこだわる必要は無いのでしょう もうひとつ 思ったこと 約100年間の自画像の変遷を見たとき これだけ表現手法が変化を遂げたにも関わらず そこに描かれる顔が“無表情”であるものが圧倒的に多い傾向は 時代を超えて変わらないということ… あからさまに 笑っている顔 怒っている顔 悲しんでいる顔 を描いた作品は非常に少ないですね もちろん画家達は それを描きながら その時の様々な心の状態を表現しようとしていたはずです 幸せや苦しみ 悩み 希望 誇り きっと色々なことを 美術評というものを読むと 絵を見ている人は 一見無表情なその顔から様々なことを読みとっています 実はその絵を描いた画家が語らない限り その絵を見た人が感じたり読み取ったりしたものが 描いた方の思惑に合致しているかどうかって分からないですよね 見た人が見た人の感性でとらえるものが“芸術”だと言えば それまでですけど ふと 大爆笑している自画像や 激怒している自画像や 号泣している自画像が もっとあっても良いのかな… と思いました あくまで個人的な感想です
by MITOO_OKAMOTO1
| 2007-08-18 11:57
| ART
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by MITOO_OKAMOTO1
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